インド

プネーの街角でガネーシャの像を売る少年と出会う。

ガネーシャの像

バタバタと道中を経て、ここからはインドらしいゆっくり旅になります。

朝の人影少ないプネーの街中、移動に疲れた私は仮眠をとりたく宿を探しました。

都合よくすぐに見つかり、値段は少々高めでしたが疲労と睡眠欲には勝てず、

窓一つない暗い部屋で朝から爆睡…ZZZZZ

思えば光のない部屋で正解でした。

 

うつらうつら、何度か目を覚ましたものの真っ暗な室内のお蔭?で、起きたのが夕方。

もう一泊世話になる、と宿主のおばさんに告げて街中散策に出ました。

 

ガイドブック等を持ち歩かない主義なので、自慢の嗅覚を頼りに歩いていると、程なくして土産売りに遭遇。

自分より若干若そうな、二十歳そこそこの仏像売りの青年でした。

 

当然インド人である彼もまた、約30センチ以内であろう至近距離まで顔を近づけてきて商売を始めます。

その眉毛の濃さったら!この距離感がたまらない!!

 

「この仏像を買うとね、人生が凄―くハッピーになるよ!」

 

ガネーシャの像

当時はよく判らなかったけど、後から思うとそれはガネーシャの像。

7,8センチ位の高さの真鍮製と思われるもの。

ガネーシャといえば商売の神様でもありますね。

それを眉毛青年は300ルピーでいかがか?

とあれこれ熱弁を奮います。

アジア旅の面白い所ですね。

 

手にしてみると遠目で見るより精巧に鋳造された像で、正直持っていてもいいかな…

と思うような精度のものでしたが、初日から自分土産の購入欲が湧いているはずもなく、

ましてや300ルピーという高さ、そのうえ寝起きのテンションも相成って、

「またね、ありがとう」と通り過ぎました。

 

しかし相手もインド人。

子犬の如く後からついてきます。

インドのみならずアジア旅をされた方でしたら、誰しも経験のある場面だとおもいます。

 

「じゃあ、250ルピー!… 230ルピー!!、こっちの太鼓もいい音だよ!!トントン♩」

 

結局かれこれ二時間近く付いてきた彼に少々飽きてきて、近くのチャイ屋に入ってもテーブルの横までぴったり。

お腹が空いてターリー(インドの定食)を注文して食べ始めても離れない。

そのうち「あなたの商売は?、家族は?」

はたまた「日本の税金は?法律には満足か?」

調子が出てきて「なぜ生きる?、人の為、何ができる?」

とうとう「30ルピーでどうだ!!」

 

結局、お金もないし、土産もいらない。

「荷物になるから」と突き放したら、彼はくれる街に消えていった。

全うな商売人だとつくづく感心しました。

人は皆商売人…

 

自分ははたして、自身の何をどんな形で売り込めるのかな…

なんて事を空になったターリーの皿をうつろに見つめながら考えた時間でした。

 

インドのバスに乗る時は手を出してはいけない!【四半世紀前のインド旅 第2弾 ダダール~プネー】

インド プネー バス

引き続きインド編、今回はダダール駅からプネーを目指します!

 

ダダール プネー

今見ると何故かグーグルマップではダダーとなっていますが、Booking.comではダダール駅となっています。

日本ではダタールと名付けているインド料理のお店も多いですが、いったいどれが正解なのか?

因みに英語表記はDADARです。

ここではダダールに統一しますね。

 

謎の民間兵(?)から解放された後、ダダール駅で列車の時刻の確認。

「俺が調べてやる!」

といって少額を請求してくるおじさん達を振り払っているうちに、長距離バスがあることが判明。

駅外のバスターミナルに移動。

真夜中なのに人が多いこと!!

ズラリと不規則に並んだバスの前では、それぞれの運転手自らが大声で、それぞれの行先を叫んでいました。

その中から「プネー、プネーッ!!!」の声を探しだし空席があることを運転手に確認、その場で予約。

発車時刻を再確認して人ごみの隙間で横になれそうなスペースを探し、しばし路上仮眠。

 

ZZZ…

 

クラクションの嵐と蚊の猛攻に耐えながら眠る事一時間余り、いよいよプネーへ出発です。

 

インド プネー バス

プネー行きのバスは2~3時間くらいの道のりでした。

今思えば、予約も情報収集もアナログのみの時代でしたね…

それが楽しかった。

 

夜のムンバイの街を滑り出したバスの中はもちろんクーラーなどありません。

車内は乗客達の、どこか香辛料のような匂いの体臭と、独特なコロンの香りとが入り混じった空気が漂います。

開け放った窓から生ぬるい風が、時折心休ませてくれました。

 

街灯の暗い車窓を眺めていたとき、ふと、日本を出る前に、アジア旅のプロの先輩から教えていただいたアドバイスを思い出しました。

「インドでは、バスに乗ったら絶対に窓から手をだすな!」

理由はただ”危ないから”…

 

バスが進むうちに、だんだんその意味がわかってきました。

運転がものすごく荒い!のです。

まるで子供が車の運転の真似をしているみたい。

猛スピードで車線変更しながら右に左にぐいぐいハンドルを切って前の車を追い越し、

まるで遊園地のゴーカート並み、いやそれより酷い!

 

相変わらずの砂利道を砂煙巻き上げながら飛ばすバス。

東の空が明るくなり始めたとき、それは起こりました。

 

ドゴーンッ!!!

 

私のちょうど真横くらいで大きな接触音!!

バスの左後方の座席にいた私は、前方が見えなかったのと眠かったのとで、その衝撃があるまで、まったく気づきませんでした。

 

明らかにぶつかった音であり、どうしたものかと周りを伺うと…

乗客みな無関心。(-_-;)

何も起こらなかったかのように平然としています。

 

よく見るとすぐ後ろの席のガラスが割れている!

幸いその席には乗客はおりませんでした。

 

プネーに着いたおり外からバスを確認したところ、

私の乗っていた席から後方までどっかりへこんでいて、

テールランプなど跡形もなく微塵粉砕。

 

ふと見ると運転手当人は、タバコ吸いながら、新聞を読んでいる始末…

いろんな国を旅した今でこそあまり驚きませんが、当時は

“なんだこの国は?”

なんて思いましたね…

インターネットがない時代はこんな旅をしていた!【四半世紀前のインド旅 第1弾 ムンバイ】

インド ムンバイ スラム

インドという国も世界有数のIT大国と呼ばれるまでの成長を遂げました。

数字の“0”を創った国、インド…。

二進法のインターネットもこの“0”が無かったら、

ひょっとしたら存在していなかったのかもしれませんね。

 

さて、今回はそのインドの旅行記を書きたいと思います!

四半世紀前にもなる話で、まだインドではインターネットが全然普及してなかった時代です。

 

ひと月ほど過ごしたバンコクからのフライトで、

インド西部、ムンバイへの移動中から話ははじまります。

 

インド ムンバイ スラム

ムンバイと言えば、映画スラムドックミリオネアとか、

日本では人気テレビ番組、クレイジージャーニーでもよく取り上げられる場所です。

 

機内放送で突然、エアーインディアの機長から、

平和な日本では考えられないようなアナウンスが耳に飛び込んできました。

 

「現地で暴動が起きています。ご注意ください!」

 

到着は現地時間の夜中です。

 

え~っ!?

 

て思ってもあと30分で到着!

 

眠いし、お腹すいてるし!?

初めてのインドだし、

ルピーは手元に持ってないし、

 

なんと言っても“真夜中だし!!!!

 

着いたらすぐに列車の切符を予約しようと思ってたのに…

トホホ。

 

続く機長のアナウンスを聞いていると、

どうも前日に開票された市長選で本命の人物が敗れたらしく、

それが暴動の原因らしい。

 

初インド上陸初日…。

いったいこれからどうなることやら…

 

イミグレーションを抜け、空港の中で両替所を見つけたがシャッターが閉まっている。

あちこち探すこと小一時間、やっと人がいる両替所を見つけて何とかルピーに換金。

 

ホッとするのも束の間、最寄駅のダダール駅行きバスを探しに空港を出て、

サウナ風呂のような熱気の中をバックパック背負って歩きまわり、

やっとのことでバスを発見!

 

サンダルはすでに汗でぬちゃぬちゃしている。

発車時刻まで少々時間があったので近くのチャイ屋で一息してから出発!

 

ガタガタの舗装道路を猛スピードで走るバスに揺られて、

 

「あーやっとこれで駅まで行ける!」

 

とホッとしたのも束の間。

 

バスが急停車。(-_-;)

 

運転手が指差ししながら

「ここからこっちの道を歩いて行け。すぐに駅だから」

 

無理矢理下車させられ、街灯の暗い道をとぼとぼ歩きだす。

 

道中、猫くらい大きいネズミに驚嘆したり、

空腹を通り過ぎて幻覚見たり、

 

20分位歩いたころ、ようやく人発見。

駅の場所を聞くと

 

「もうそこが駅だ」

 

この言葉に狂喜し、走りだし、

インドじゃ食べれないラーメンとかうどんとかが脳裏に浮かんでいた次の瞬間、

 

「そのまま、手をあげろ!!!」

 

 

 

インド 民間兵

 

 

いきなりの暗闇からの怒声に、親にも聞かせられない声を発して振り返ると

 

そこには…

 

ライフルを構えた民間兵?

銃身をこちらに向けたまま駆け寄ってくる!?

 

今日はなんて日だ!!!

 

そうか…

機内でアナウンスのあった暴動の影響か…。

 

って、そんな悠長なこと言ってられません。

慌てて成り行きを説明、及び弁解。

 

救いだったのが、インドは英語が広く通じるところです。

必死の説得の甲斐あって、その民間兵はアゴで、

 

「行ってよし」の合図をくれました。

 

事の起こりついでに、調子にのってトイレの場所を聞いてみると、

ご丁寧に駅のトイレまで案内して下さり、

用を足している後ろから、

ずーっとこちらに銃をかまえて見ていて下さいました。(笑)

 

トイレには勿論、紙などありません。

しかし見渡すと水もない…

 

ない…

 

無かったのです。

 

その後の展開は、皆様のご想像にお任せいたします。

旅は苦い思い出ほど後で笑えますよね…。